2月11日(晴れ)

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空想と記憶と現実と

何だか妙に沢山の夢を見ているような気がして夜中に目が覚めました。体調は悪くないみたいです。午前中に久しぶりにゴミ出し、洗濯、掃除機がけなどをしています。久しぶり、と言っても別にサボっている訳ではなくて、一人暮らしだと全然ゴミも洗濯物も増えないので、もっと頻度を減らしても問題なさそうな感じです。ルーチンというよりは気分転換に近い感覚です。

今日は10時から新大阪の事務所でミーティング&作業です。これまた久しぶりじゃないかな、というくらい大量の不具合を(現在運用中のシステムから)見つけ出すことができました。OSのメジャーバージョンアップ(Cent0S5 -> 6)を含んでいるので、仕方のない部分もあるのですが。夕食には新大阪駅地下のお好み焼きを頂いて帰りました。

自分の時間を有効に管理する、という名目もあってこの日誌を書いているのですが、こうして一日を振り返るだけでも「空白」の時間が出てくることがあります。例えば、今日の夜明け頃、夢から醒めた後、何をしていたんだろう、とか。これくらいなら、「寝惚けてた」で片付くかもしれませんが、20歳の誕生日を迎えてから12年間、何をしてきたっけ?と思い出そうにも、あまりにも記憶が断片的過ぎて、何回も通り過ぎた季節をその都度どう生きてきたのか、なかなか思い出すことができません。特にこの年末からは、不思議なことが起こり過ぎてそういう気分が一層強くなってきています。どこまでが自分の空想で、どこからが記憶の再現で、残渣物のようなこの現実は本物か?と問いかけ始めると、益々その境目がぐらついてくるような感覚すらあります。現実に不満があるという意味では決してないのですが、境界が無くなるというかゴムのような薄い膜が出来て、決してそれらは混じり合わないのだけれど、際限なく伸び縮みしてお互いの領域を行き来するような、そんな状態に近いでしょうか。これが、ある種の「大人になる」という意味なのかなぁ…などとボンヤリ考えています。


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