好きの反対は無関心
今日は新大阪の事務所で仕事です。変な方向(?)と言うと失礼ですが、なかなか面白いことになってきていて、朝から事務所の電気を消して、撮影用の小さなブース(と言うのかな?)を広げて、iPhoneで写真を撮る仕事など。光沢のあるものって映り込みの影響があって、なかなか思うように撮れません。これってどうするのかな?
お昼も事務所で済ませて、昼過ぎまでこんな感じの作業。それから、まだ暖かいうちに、と吹田のゴルフ練習場へ。7番アイアンで100y先のグリーンを狙って乗せる、みたいな練習が出来るようになってきました。ドライバーも200yは届いてそうな感じで、「次はいよいよコースかな」と言われてちょっと浮かれ気味。花粉のせいで夢でも見てたのかな。
食事の席などで、ちょっとしたマスコミ批判みたいな話を聞くことが時々(否、しばしば、かな?)あります。村上龍、森博嗣、内田樹と、マスコミに関する批判を散々先に目にしながら社会に入った世代としては、新聞やテレビがスポンサー(ひいては自己)の不利になる報道は絶対しない(NHKも国家の法がスポンサーなので例外ではなく)、みたいな認識が開始点なので、最初から期待は無いわけで、変な報道を目にしても露骨だな、、と思う程度ですし、逆に鋭い視点の記事に出会うと、ラッキー、と思うような感覚です。批判をする、ということは前提としてマスコミに対する一定の期待感がある訳で、それを裏切られた、と感じる心理が働いているのだろうなぁ、と想像します。そういう意味では、まだまだ新聞もテレビも見捨てられてはいないようです。
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