3月25日(曇り)

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雇用を奪う?

今朝もウォーキング。走るのは花粉が減ってから…。戻ってきて朝食を作っていると、緊急対応の依頼メールが。先日作っておいたリカバリ用の機能で想定していたそのまんまのエラーだったので思わずニヤリとしてしまいます(不謹慎)。ツールの動きもほぼ想定通りで問題なく復旧しました。こうやって「想定内」の事象を増やしていくことこそが、大きく言うと「治める」、小さく言えば「管理する」ということなのでしょう。

今日は終日、新大阪で打ち合わせ。一人でコツコツと作業をするのは大好きですが、何日も続くとやっぱり人恋しくなります。(前にも書いたけど)今はちょうど良いバランスで打ち合わせと作業がミックスできているような気がします。いくらケーキが好きだからって、そればかり食べていては美味しくなくて、やっぱり一緒に苦い珈琲やお茶が欲しくなるのと同じ感覚でしょうか。違うか。

システムの導入に関して打ち合わせるとき、よくその導入規模の指針として「このシステムが稼働すると、どの程度の人時を節約できるか」という試算がなされます。例えば、今までパート社員が4時間かけて仕上げていた集計作業を自動化し、1時間程度のチェックで済ませられるようになる、と仮定すると時給千円、1日3時間、月20日勤務で6万円、年額で72万円です。1拠点だとこの程度ですが、20もあれば年間1440万円なので、2000万円程度で組んでも2年使えれば、発注側としても儲けは出る訳です。

しかし、こうした状況を「雇用が奪われた」と疎ましがる意見も良く耳にします(企業の利益分は元は支払われるはずだった給与ですから)。考えてみたら、そもそも「雇用の創出」という言葉がすごくポジティブな意味合いで使われていることが変なんですね。そこに穴があって、誰かがそれを埋めなきゃ皆が困る、といった仕事がそこにあるから雇用が生まれる訳で、誰も困らなくなったのなら、皆で資源を分け合ってのんびり生きていけば良い訳です。わざと穴を掘ってみたり、土を盛ってみたりする人がこの国には意外に多いような気がします。


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