4月4日(晴れ)

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嵯峨嵐山の記憶

今日は朝からお出かけです。新大阪でJRに乗り換えて京都まで。時刻表もろくに確かめず出発したら集合時間の40分も前に着いてしまいました。ここで山陰線に乗り換え、一路、春の嵐山へ。渡月橋からの景色を楽しんで、亀山公園の桜の下でお弁当を頂いて、竹林を散策した後は、落柿舎で一休み。

ここまでの地名、全部一発で変換出来てます。さすがは京都の名所たち、といったところでしょうか。周囲の観光客の話し声も英語、仏語、中国語、韓国語、という感じで逆にこっちが海外旅行に来たみたいな気分です。最後はトロッコ駅に隣接した施設でHOゲージの巨大なジオラマを見学。春の草木も素敵でしたが、最初に観た京都の駅舎と、最後のこれが一番印象的だったかも。

10年程前に当時知り合ったばかりの女の子と、名古屋から一緒に嵐山まで遊びに来たことをふいに思い出しました。残念ながら、名前は思い出せないし、シルエットも朧げです。あらゆることが忘却の彼方にあったはずなのに、突然、あるバス停の標識と周囲の景色を見つけて強烈な既視感に襲われて、それを思い出しました。忘れっぽい、というレベルを超えて、自分のこれまでの人生そのもの、どこからどこまでが本物なのか分からなくなりそうな程、記憶が欠落していることがあります。私を私と認識してくれる周囲の僅かな人たちが居てくれるお陰で、そこに同定されている危うい人格。逆に、この残酷な無頓着が今までに何人も傷付けてしまったのかもしれません。しかしそれでも、未熟だった、との諦観と、取り返せない時間への後悔とを、併せ抱きかかえながら、もう暫く生きていかねばならない、と思います。

願わくば花の下にて春死なん その望月の如月の頃 - 西行

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