5月4日(晴れ)

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百間川

ゴールデンウィークの最中ですが、新幹線で岡山へ。中途半端な日取りのお陰か全く混み合うことなく無事に往復することができました。子どもたちが引越をしたばかりの新居を訪ねるので土地勘が全くなかったのですが、無事に到着することができました。GPSってやっぱり凄い。

持って来たDVDを一緒に見たり、近所の公園に行ったり、スーパーでお弁当を買って近くの河川敷で皆で食べたりしてひとしきり遊んでから、うちに戻って長女は漢字の勉強、次女はお昼寝という一日です。こうして文章にするとありふれた父娘の休日なんですが、ひとつひとつが映画のワンシーンのように、否、遥かに鮮明に、心に残っています(前回も同じことを書いたような)。

人の意識というのは、常に離散的で、例えばちょっと別のことを考えても、或いは睡眠という無意識を挟んでも、その間には何かしらの断絶があって、都度、大小の差こそあれ確実に前後の隔たりを生み出します。それが積み重なると、いつの間にか全く別の人格とも呼びうる思考回路を形成しているような振る舞いを見せますが、それはあくまで客観的に観察した場合の話であって、それぞれの一連続の意識の中で思考する自分にとっては、通常は全く及びもつきません。今の自分も同様で、何がどう変わったのか全くもって説明が付きませんが、過去の自分の文章を読み返すことで、辛うじて何かが変わったことだけは読み取ることが出来ます。逆に、その中にあって変わらない部分というのも観察されて、そこが自分という人格の核の部分なのかなぁ、と類推することも出来ます。

閑話休題。目に入れても痛くない娘たちとお別れをして大阪へ。途中で、新大阪の居酒屋でクライアント(いや、パートナ?)の方から、お酒をご馳走になりました。最後に自宅近くのラーメン屋に寄ったのですが、久しぶりに「はずれ」でした。まず、出てきたお冷やが臭くて飲めない。ラーメンのとんこつもエグみが残ってるし、明らかに塩が効き過ぎてるし…。コップにこびりついた油の臭いに気付けないようじゃ、まともな味付けは出来ないのは道理です。自分たちの仕事を客観的にどれだけ見れているか、がその仕事の質をほぼ支配しているといっても過言ではないような気がします。材料の産地だ、調理の設備だ、包丁の技術だとか、自己の客観的な測定、という命題に比べれば瑣末な問題です。無論、このラーメン屋にではなく自戒の意を込めて。


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