呪いの言葉
寝起きが悪いなという朝は大体雨が降っています。今日はジョギングはお休み。ちょっと疲れが出ているのか体温も上がらないので、スローペースで作業を進めています。正確に言うと、スローペースでやろうと心がけています。メールのリプライやプログラムを書き始めて集中してしまうと、そんなことは綺麗に忘れてしまうので、なかなか加減が難しいところです。午後も、少し散歩に出た以外は大体こんな調子で作業しています。
今日はいよいよ14日の英語バーの告知をFacebookに流しました。こくちーずとATNDにも流したし、あとは天命を待つのみですね…って、ちょっと気合い入れて告知しまくってるので、逆に混雑し過ぎたらどうしよう、という懸念も出て来ました。うーん。
さて、今年こそは新しいビジネスの軸を見つけようと画策しているのですが、ここでそろそろ自分の考えを固めておきたいな、と思うネガティブな現代社会の側面がひとつ。今日のタイトルになっている「呪い」についてです。
昔話、或いはファンタジーの世界のものかと思われるかもしれませんが、「言葉によって他者に害悪を及ぼす行為」と定義すると、ネットの掲示板に「あいつは○○だ」と書き込むことも一種の「呪い」であると考えられます。ケーブルや電波を介しての拡散と伝達の速度を考えると、これまでの時代には無かった凄まじい勢いと暴力性を持つことも時に起こり得ます。どんな人間でも明かされたくない出来事や事実を多少は持っているものですし、周囲に誤解されることへの恐れが混ざれば、暴露されている事柄が事実であるかどうかなど関係ありません。つまり、誰でもターゲットにされる可能性はゼロではないということです。人ごみの中を歩く時はスリに注意する、という程度には気をつけておくべきレベルの行為になっているとも言えそうです。
じゃあどうやって身を守るのか、というのに完全な一般解はありませんが、そういった「呪い」に耐性のありそうな人間と普段から交流しておく、或いは自分自身がその耐性を身に付けるというのは一つの良い方法かと思います。例えば、パッと思いつくところだと、養老孟司、内田樹、森博嗣、あたりの著書を読んでいくと、彼らがそういった言説を恐れるどころか時に吸収し、自身の糧にしてしまっているような姿を目の当たりにすることができます。彼らの心の持ち方はとても良い参考になります。
ここで実は昔話の伝承との不思議な一致が出てくるんです。有名な「丑の刻参り」のような手法に於いてでも「呪い」というのは、誰かに知られてしまうと、その効果は消失し、発信者の元に跳ね返ってくると言われています。現代の呪いの発信者の多くは匿名ですが、かの著者たちは「こういう非難をするのは、こういう人間だろう」と類推を重ね発信元の心理を同定してしまいます。誰かを罵倒する人間は無意識に自分のコンプレックスを相手に投影する傾向があります。例えば、なかなかガールフレンドが出来ない男性が、別の男性を「あいつは女たらしだ」と吹聴してまわるようなケースですね(まあ、自分が独りのときに、女性に人気のある男性を見かけるとムカッと来る心理は分かりますが…これは別の話)。
こういう微笑ましい事例でもインターネットを媒介すると、本人も自覚のないうちに「呪い」へと変貌する可能性がある、というのが現代の環境の怖いところですが、「呪い」の存在に自覚的な人間が増えることで、ある程度コントローラブルな領域へと鳴りを潜めて行くのではないでしょうか。
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