3月31日(嵐?)

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豊田で仕事

今日は豊田で起床。もうすっかり春の陽気で、布団が暑いくらいでした。ただし、時折吹いてくる強風のせいで外に出ると、まだ少し寒さも感じるくらいです。お昼過ぎまで妹夫婦の職場を借りて、メールを返したりコードを少し書いたり。昼食にも混ぜてもらいました。

姪っ子もすっかりなついてくれていて楽しい限り。3歳なのでもうそこそこ喋れるんですが、時々面白いことや突拍子もないことを言いだすのがもう可愛らし過ぎて…。彼女の妹も、今度会う頃にはまた一段と大きくなっているんでしょうね…。子どもたちを見ていると、確実に時間が進んでいるんだな、と実感ができますが、それと同じだけの時間を行きてきている自分は、それと同じだけの成長をしているのか?と問い直すと、まだまだ甘い部分ばかりが目につきます。今日と昨日とを比べても何の変化もないように見えても、きちんと何かを感じ、考えていれば、前に進むことは出来ます。成長した子どもたちに、自分はこう生きた、と胸を張って言える大人でありたいものです。

"We already have everything except for a hope," a Japanese boy said. Why did we lose our hope? Does the cause come from the politics, economics or education? Needless to say, they can be the answer. Though recognizing the problem is a good basis, it is not enough. I have to think every day. I have to act every day.

If we have a certain hope in our life, we will be able to survive even if the situation would be tough. On the other hand, if we don't have any hope toward the future, it may be difficult to keep living well even if we have lots of properties.

上の英文はここ最近の出来事から感じたことです。「この国には何でもある、希望だけがない」という言葉はもう10年以上前の小説で描かれたものですが、未だにこの国を覆っている空気を表しているような気がします。希望は自分たちが望みさえすれば創り出せるものなのに、なぜそれをしないのか、できないのか、そのことを考えています。


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