5月29日(晴れ)

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滅私奉公

今日も朝から梅田へ。すっかりコワーキングスペースでの作業にハマってしまっています。やっぱり適度な雑音と他人の視線があった方が良いみたいです。それに段々と周囲の人間とも親しくなって、新しい動きも見えてきたり。午後からはグランフロントに移動してまたちょっと作業。それから今日は2回目のペン習字教室体験です(そういえば、クライアントには打ち合わせです、って説明して帰ってきましたが…)。

写経が面白い、という話を時々聞くようになったので、だったらちょっと実用的なものを、と思って見つけたのが、近くの公文のペン習字教室です。同年代の男性なんて全然いないので、相当緊張する、というか浮いた感じになってますが、、「Who cares?」の精神で乗り切ろうと思います。で、実際ペンを持って線をなぞってみると、自分の心のウワツキぶりが良く分かります。次々と雑念が浮かんで来ては線を描く手の動きを邪魔します。ゴルフのスイングでも同じですね。周囲の条件はほとんど同じはずなのに、自分の心の中から、さざ波のように出てくる邪念が変な力みを作ります。本当にまだまだ心の弱い人間なのだな、と痛感しますが、果たしていつかもっと静かな境地に至れるのだろうか、という不安がまたそこから生まれ無限に波がわいてきます。

さて、最後は見出しの言葉について。滅私というと凄くネガティブなイメージを持たれがちな現代です。もちろん自分も例外ではなく、20代の頃は最も忌み嫌っていた言葉と言っても過言ではないかもしれません。しかし、ここ数年、自分の心の動きを外から見る機会が増えるにつれ、「滅私」の意味の捉え方が分かってきたような気がします。ここで消し去るのは、自分自身の肉体や心ではなく、「私欲」の部分です。「あれは自分のものだ」「自分はこう見られたい」といった本当は自分の周囲にあるものを自分に取り込もうとする「欲」を消しなさいと言っているだけのような気がします。字を書くとき、ゴルフのボールを打つとき、まさに必要なのは「滅私」です。奇麗に書こう、遠くに飛ばそう、という思いは、その”瞬間”には不要なものです(もちろん、その直前までは必要ですよ)。仕事も同じこと。「自分の手柄にしたい」という思いが大きくなってしまうと、駄目になります。誰を助けるためにやっていることなのか、ここでも「滅私」が必要です。

私たちの心の中にある欲望の火は触れたら本来は苦しいもの。
苦しまない練習 - 小池龍之介

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