読書の記録『侏儒の言葉』

トップ > 読書 > 読書の記録『侏儒の言葉』

読書の記録


侏儒の言葉

芥川龍之介, , 2013-01-17, ****-

良心もあらゆる趣味のように、病的なる愛好者を持っている、そう云う愛好者は十中八九、聡明なる貴族か富豪かである。
わたしは恬然と答えたい。半ばは自由意志を信じ、半ばは宿命を信ずべきである。或は半ばは自由意志を疑い、半ばは宿命を疑うべきである。(中略)古人はこの態度を中庸(good sense)と呼んだ。
輿論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。
成すことは必ずしも困難ではない。が、欲することは常に困難である。少なくとも成すに足ることを欲するのは。
自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱いものには堪えることは出来ない。
恋愛は唯性慾の詩的表現を受けたものである。少なくとも詩的表現を受けない性慾は恋愛と呼ぶに価いしない。
わたしを感傷的にするものは唯無邪気な子供だけである。