読書の記録
歌うクジラ 村上龍, , 2010-08-31, 屈辱という概念には前提があるような気がした。対等とか平等とか、幻想的で郷愁を誘う言葉が前提にある。 わたしたち人間が言語を中心とする複雑な文化を生み出した背景には、発情期の喪失、そして長期の未熟性という犠牲がともなっていて、その補完には社会化しかなかったということになる。おもに言語による社会化の過程で、わたしたち人間は性的想像および行為を制御する必要に迫られ、精神の発達に応じた禁忌のスケジュールを作製して宗教や道徳などを利用し、個体に性的想像や行為の倒錯を禁じるという装置を考案したが、社会の成熟が飽和に達したときに、そのシステムそのものに制度疲労が生まれることを知らなかった。 危険を察知しても他に選択肢がないから危険という概念は意味を失いやがてその概念そのものも消える。 想像が不安や恐怖を生む。確実に訪れる逮捕や死は面倒で気怠いだけだ。 被害を受けた側が救助や補償より加害者の謝罪を優先する精神文化は外部からの侵略や内部の住民移動や価値観の転換がほとんどない閉じられた共同体のみに見られる。 取り戻せない時間と、永遠には共存し合えない他者という、支配も制御もできないものがこの世に少なくとも2つあることを、長い長い人生の中で繰り返し確認しているだけなのだって、わたしは気づいたの。 わたしたちヒトが発情期を失った理由と経緯は結局のところ想像するしかないが、その結果は明らかだ。発情期を失った人類は性行為の自由を手に入れ生殖を効率化したが、副作用として性的な禁忌を、分泌と代謝という科学的反応ではなく、家族から国家までの社会的な学習に頼ることになった。 生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ。そして、移動しなければ出会いはない。移動が、すべてを生み出すのだ。 |
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