読書の記録
赤目姫の潮解 森博嗣, , 2014-12-23, 単純というのは、なにもかもが均質に混ざった状態ではなく、むしろその反対、個々が独立し、形を成し、すなわち物質という幻を見せている奇跡的なバランスのことです。 この世で得たデータを無にするというのは、胎児に戻るようなものだろう。その感性あるいは心境に擬似的にであれなりえる者が、私が考える天才である。(中略)自らの理解の蓄積を瞬時に捨て去ることができるからこそ、どんな新たな理解も容易に展開することができる。 「私たちの存在についても、やはり知ることはできないのですね?」 「その答は、たぶんそれぞれの頭の中に既にあると思います。つまり、どう考えるのか、ということに限りなく近い」 「自分たちは、そのときどきで正しいことをしているつもりでも、少しずつ、どこかで狂っていて、結局はあとになって、首を捻ることになるのよ。なんだって、そうなの。全部、少しずつ歪んでしまっているから、純粋で綺麗なものなんて、どこにもないわ」 この若い創造主は、人形を作っているという意識はなく、ただ人間を作ったのです。それを、人形だと区別するのは、その才に達しなかったものの見解であって、その悲観には、多分に自分たちが及ばなかった敗北感があった。それは、見解というよりは、感情なのです。嫉妬なのです。 |
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