読書の記録『下流志向』

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読書の記録


下流志向

内田樹, , 2009-11-04, ***--

変な言い方ですけれど、かなり努力しないとそこまで学力を低く維持するのは難しいと思うからです。
この「読み飛ばし能力」が、今の若い人たちは、僕たちの想像を超えるくらいに発達している。
心身の感度を下げることで、外界からのストレスをやり過ごすというのは生存戦略としては「あり」なんです。おそらく、現代の若者たちも「鈍感になるという戦略」を無意識的に採用しているのでしょう。それで学力低下という現象も部分的には説明がつくんじゃないかと思います。
現代の子どもたちは、自分の前に拡がる世界に「よく意味がわからないもの」が散乱していることに対して、特段の不安や不快を感じることなく平然としていられる。
家族の中で「誰がもっとも家産の形成に貢献しているか」は「誰がもっとも不機嫌であるか」に基づいて測定される。これが現代日本家庭の基本ルールです。
どんな場合でも、「おまえのせいで私はいま不愉快になっている」という態度をまず採ってみせることが有利に働くということがわかってきたので、日本人の全体がだんだんそういうマナーを採用するようになったということだろうと思います。
起源的な意味での学びというのは、自分が何を学んでいるのかを知らず、それが何の価値や意味や有用性をもつものであるかも言えないというところから始まるものなのです。
外界の変化に適応して変化できる個体は、そうでない個体よりも生き延びる確率が高い。(中略)子どもがまず学ぶべきことは「変化する仕方」です。学びのプロセスで開発すべきことは何よりもまず「外界の変化に即応して自らを変えられる能力」です。
おのれの幼児的欲望を抱え込んで、決して成長変化することのない消費主体のままでいること。市場原理は子どもたちにそうあることを要請します。でも、それは子どもたちを幸福にするためではありません。
「自分探し」という行為がほんとうにありうるとしたら、それは「私自身を含むネットワークはどのような構造をもち、その中で私はどのような機能を担っているのか?」という問いのかたちをとるはずです。
「雪かき仕事」をする人は朝早く起き出して、近所のみんなが知らないうちに、雪をすくって道ばたに寄せておくだけです。起き出した人々がその道を歩いているときには雪かきをした人はもう姿を消している。だから、誰がそれをしたか、みんなは知らないし、当然感謝される機会もない。でも、この人が雪かきをしておかなかったら、雪は凍り付いて、そこを歩く人の中には転んで足首をくじいた人がいたかもしれない。
どこの企業でも、ある段階までやって「成果主義はあきらめよう」という雰囲気になってきています。個人の成果を評価するのはいいことなんですけれど、評価コストが評価のもたらす利益を超えることが確実だからです。
弱者が弱者であるのは孤立しているからなんです。自己決定・自己責任とか、「自分探しの旅」とかいうイデオロギーに乗せられて、セーフティネットの解体に同意し、自分のリスクを増大させていることに気づいていない。