読書の記録
働きざかりの心理学 河合隼雄, , 2012-05-13, 虫の好かぬ相手は、自分があまり気づいていない影の部分を拡大して映してくれる鏡のようなものである。 「つきあい」疲れで夜遅く帰ってきたAさんに、中学生の息子が「お父さんはいいな、毎日飲んだり麻雀したり、好きなことばかりして」と言ったのである。(中略)一所懸命につき合いをして、会社でもうまくゆかないし、そのうえ、家でまで嫌味を言われ、まったく立つ瀬がないのである。 禅の老師は杖を見せて、これは何かと問う。「杖です」と言えば「喝!」とやられ、「杖ではない」と言うと、またもや「喝!」とやられる。杖なのか杖でないのかなどと頭で考えている限り答えは出てこない。これはFさんが子どもには厳しい方がいいか、優しい方がいいかと頭で考えているのと同様である。 強調と妥協の差は、協調は、そのことをするまでに苦しみがあるのに対して、妥協は、そのことが終わってから苦しみがある点にある。 レストランにはいって、こんなところよりもっと高級なところに行こう、などと彼らが言い出すとき、それはそのとおりのことよりも、子どもを連れてレストランに来て、一緒に食事さえすれば「一家の団らん」が成就されたと考えている親の安易な態度に対して、これでは駄目だと批判していることが多いのである。 「男性は栄光を、女性は愛を求める」と言ったバルザックのように、男女の心理的な差を画然と認めるものもあるし、男女の差が社会によって「つくられた」ものであることを主張するボーボァールのような人もある。 日本の上位者は世話役か象徴かどちらかであって、決して真の意味の指導者ではない。西洋人から見れば、指導者も戒律もない強力な集団となるので、これは怪物かアニマルとでも考えざるを得ないのであろう。 少しでも能力のある人は、早くから世話役や象徴役をおしつけられ、場の維持のためにエネルギーを消耗し、創造的なことにエネルギーを向けられないような仕組みが、うまく出来上がっているようにも感じられる。 人生を健全に生きている人は、自分なりに先に述べたように自己治療の力がはたらくように工夫していることがわかる。すなわち、どこかで自分の心を自由にはたらかせる機会を見いだしているわけであり、言うなれば、自分の手で芸術療法を行っているのである。 人間は必ず死ぬのであってみれば、人間はすべて進行の遅い癌になっているようなものである。 |
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