読書の記録『知に働けば蔵が建つ』

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読書の記録


知に働けば蔵が建つ

内田樹, , 2009-11-11, ***--

「個人情報の保護」というときに、いったい「何から」保護しているのか、ということがここでは言い落とされているからである。(中略)それは言い換えれば、共同体の他のメンバーは私の潜在的な「敵」だということ、私の個人情報を知ればそれを悪用する可能性が高い人間たちと私たちは共同体を形成しているのだということを含意している。
「オレ様化」した子どもたちは、教師が示唆する自己評価の「下方修正」をなかなか受け付けない。彼らは過大な自己評価を抱いたまま、無給やそれに近い待遇で(場合によっては自分の方から「月謝」を支払ってまで)「クリエイティブな業界」に入ってしまう。
「私」のうちで複数の声が輻輳し、「私」の思考のうちで複数の判断や価値観や美意識が絡み合い、「私」自身のふるまい方のうちに多様な起源を持つ、多様な範例がすでに混在しているような複素的な人間だけが、他者の声を聴き、他者の価値観や判断を尊重し、他者のふるまいを理解する努力を惜しまない。
「じっさいの生は、一瞬ごとにためらい、同じ場所で足踏みし、いくつもの可能性のなかのどれに決定すべきか迷っている。この形而上的ためらいが、生と関係のあるすべてのものに、不安と戦慄という、まぎれもない特徴を与えるのである。」
「多数派の偏見」が常識とみなされ、「多数派の臆断」が真理とみなされるのが大衆社会である。
ニーチェにおいては貴族だけの特権であったあの「イノセントな自己肯定」が社会全体に蔓延した状態、それが現代大衆社会である。
わが国では、ロレックスをはめていても、エルメスのバッグをもっていても、アルマーニのスーツを着ていても、それは「一時的に可処分所得が潤沢なので、『おしゃれ』に気を使う程度の余裕がある」という以上の社会的記号としての意味を持たない。ブランド品の所有が出身階層や芸術的感性や文学的素養などの文化資本の多寡を示すことはない。
ルイ・ヴィトンのバッグの50%は日本市場で買われている。
「歴史的出来事」というのは生きている側の都合で「棚上げ」されたり、「忘れられたり」「思い出されたり」する。