読書の記録
街場のメディア論 内田樹, , 2011-02-06, メディアの不調はそのままわれわれの知性の不調である。(中略)メディアが集中豪雨的に論じる論件については僕たちも選択的に詳しい。けれども、メディアが扱わないトピックについてはほとんど何も知らない。 与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するように、自分自身の能力を選択的に開花させること。それがキャリア教育のめざす目標だと僕は考えています。 人間が大きく変化して、その才能を発揮するのは、いつだって「他者の懇願」によってなのです。 自動車会社がスポンサーであれば、ドラマの中で自動車事故は起こらないし、酒造メーカーがスポンサーであれば、ドラマにアルコール依存症の人間は出てこない。 おのれの無垢や未熟を言い立てることで責任を回避しようとする態度。それはいまや一種の社会的危機にまで肥大化しつつあります。 「立ち去り型サボタージュ」:裁判のリスクを恐れて、産婦人科や小児科などトラブルの多い診療科から続々と医師が立ち去っている現状を指す言葉です。 「変える必要のないもの」「惰性が効いているほうがよいもの」はメディアにとっては存在しないと同じなのです。報道に値するのは「ニューズ」だけだからです。 鉄道が電化されれば蒸気機関車が不要になるように、橋がかかれば渡し船が不要になるように、テクノロジーの進歩はその代償として必ず「それまで存在した仕事」を奪います。「紙の本の印税だけによって生計をたてる」という生き方はこの後かなり難しくなるでしょう。 |
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