読書の記録
ハバナ・モード 村上龍, , 2006-02-06, 何とかなるだろうという曖昧でポジティブな前提と、このままではどうしようもないという絶望の間に、わたしたちの努力のすべてがある。 医学部や薬学など一部の学部を除き、多くの学生は、一、二年生の間は受験と親の監視からやっと逃れたと遊びまくり、三年生になると就職活動だけに打ちこむので、実質的にはほとんどまとまった知識を身につけることができない。 就職の文字通りの意味は職に就くことだが、今や就社と同義語になってしまっている。 日本の大御所の学者が書いたものは経済に限らず、たとえば分子生物学の「入門書」などでもまるで入門を拒んでいるかのような作りになっている。どうにかしてこの学問の面白さを伝えられないだろうかという作りにはなっていない。 本当は、人間は誰とでも基本的に対立していて、利害が一致する場合に仲良くなったり結婚したり一緒に住んだりグループを作ったりするだけなのだが、日本社会では対立があるとそれだけで問題となりがちだ。 (近代以前、)労働ができない子どもは人間というよりモノに近かったし、労働できる年齢になるとすぐに大人として扱われた。子どもという概念はなかった。 わたしは、ライブドアや楽天やヤフーといったいわゆるIT企業のサバイバーたちが、衰退の象徴とも言えるプロ野球を利用して自己宣伝を実現させようとしたことに対し深い失望を覚えた。 |
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