読書の記録『MORI LOG ACADEMY 3』

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読書の記録


MORI LOG ACADEMY 3

森博嗣, , 2012-08-20, *****

いつも仕事は、やりかけのままで残しておく。きりが悪いところで中断するよう心がけている。たとえば、小説だったら、文章の途中でやめることが多い。「。」までいかない、本当に中途半端なところで中断し、その日は寝てしまう。すると、翌日、すぐ仕事に着手できる、というわけ。
「維持」という行為に日本人はほとんど理解がない。そういう行為を認めていない人もいるくらいだ。(中略)「維持」することは、発展させることより技術的に難しい。
考えていて進まないときは、行動するとなにかはわかるものだ。
あんな遠くまで自分は行けるのか、と思うような遠くの風景も、一歩ずつ左右の足を前に出しているうちに、確実に近づいてくる。大きくジャンプを繰り返すよりも、歩く方がはるかに楽なのだ。
もし「完成」と呼べる場面があるとすれば、その場で得られる最上のものとは、出来上がったものの価値ではない。「次はもっと良いものが作れそうだ」という新しい予感である。
子供を育てようとするあまり、自分の成長を忘れている。それは、教育の半分を放棄している姿であって、子供もそれを見抜く。ともに成長する仲間ではない、と感じるのだ。
やはり、文系と理系の差というのは、理科と算数をシャッタアウトするかどうか、のように思える。
幼い子供は、すべての言葉の意味が最初わからない。それでも、その中に少しずつ意味や道理を見出し、曖昧なまま、抽象的なまま、自分の中に吸収するのである。だからこそ、あっという間に、あんなに沢山のことを覚え、成長する。なんにでも興味を示す。
政治家の多くは、未だに街へ出て市民に訴えているらしい。なかには、わざわざ歩いたり、自転車に乗っているらしい。そういう軽はずみなことをする人間を信じるのが、彼らが言う「庶民」なのだろうか。握手されただけで感激して票を入れてしまうのが「庶民」なのだろうか。