読書の記録
MORI LOG ACADEMY 4 森博嗣, , 2012-08-27, 人間は、目でものを見るのではない。頭でイメージするのである。 どうして旅行にいくとあんなに写真をばしばし撮るのだろうか?誰かに報告するために派遣されたみたいに見える。 言葉というのは光のようなものだ。言葉を尽くすことで、どんどん明るくなる。しかし、言葉が多すぎると眩しくて見えなくなるものがある。また、言葉にすることで、陰もできる。明るいところだけに目がいくようにさせることができる。 こつこつと努力をしていれば、いつか報われる、という教えには、大した根拠がない。そういった実例もほとんどないように思う。ただ、こつこつやっていないと、もっと絶望的な結果になる、というだけだ。 コミュニケーションには必ず、一部に「理解」と「誤解」が含まれる。(中略)伝わるもの、伝わったと認識されるものは、受け手がその場で着想したものである。送り手は、単に注意を喚起したに過ぎない。 魅力のあるコンテンツがさきになければならない。そのうえで、どのようなメディアにそれをのせていくのか、という発想を持つのが自然だ。 頭を使って計算をすることは、自分の足で走るようなものだ。電卓や自動車が現れた現代においては、それらの能力が必要な場面はほとんどない。計算のような単純な思考をしなくてすむのだから、その分、もっと創造的なことを考えられる。しかし、計算をまったくしたことがない頭は、走ったことがない足のようなもので、ジャンプのような創造的な思考をいきなりしなさい、といわれても、何をどう考えて良いのかわからないだろう。 |
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