読書の記録『MORI LOG ACADEMY 13』

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読書の記録


MORI LOG ACADEMY 13

森博嗣, , 2013-04-28, *****

9秒台で走れなくても、誰でも100mを進むことはできる。時間には関係なく、成し遂げる仕事としては同じなのだ。才能の違いなんて、その程度、つまり数秒の差である。それよりも、「私は走れない」と諦めてスタートしないことの方が大きな差になって表れる。
今良ければ将来も良い、という道理はない。
仕事でストレスを感じたら、仕事以外のことをやめて、仕事の時間を増やす。そして、とことん仕事をすることだ。時間をかければ、多少は進むだろう。それがストレスを緩める。
問題を抱えて悩んでいる人のほとんどは、問題の解決を望んでいない。そんなことはない、解決をしたい、と主張するのだが、解決方法を示すと、いやそれはできない、と言う。よくよく確かめてみると、それは「できない」のではなく、「したくない」だけだ。
機械は壊れるものだ、と考えている技術者の方が信頼できるし、ソフトは必ずバグを持っている、と信じているプログラマの方が信頼できる。
個人の悩みは、他人に分担できるものではない。その錯覚さえ、自分の中の処理である。僕が書いたことを読んで、それで救われた、決断できた、楽になった、というようなメールをいただくことも多いのだけれど、繰り返すが、それも僕の力ではない。本人の機能であり、能力によるものだ。
大人になって、さきが見えてしまうと、なにもできなくなる。一見、予測できるようになり成長したと考えがちだが、ようは、その予想を上回るような夢を思い描けないだけのこと。自戒したい。
人生は多くの場合、手段が目的になってしまう。それではいけない、という意見もあるし、結局それが人生だという悟りもあるだろう。
友達が大事だ、と思い込まないこと。孤独が最高だ、とも思い込まない。当然だと思われるもの、慣れ親しんだもの、これだと決めたもの、をいつも疑って、またその疑うことも疑う。それくらいにしていてちょうど良いくらい、人間というのは思い込みが激しい。
「お金の話をするのはいやらしい」というのは逆だ。そういうことを言う方がむしろいやらしい。
仕事でその人が使えるかどうか、というときには、その人のコンディションが最悪で、やる気のないときに、どれくらい仕事ができるか、という点で見るべきだ。
「どんなとき、どうすれば良いか」といった知識は誰でも簡単に学べるが、一番難しいのは「今がどんなときか」を感知することであって、これは知識としては学べない。
無理に飾ったところは、失敗して傷ついた部分よりも、許せない醜さとして残る。