好き
朝食をシリアルに変えてみました。お米を分けてくれる家族が居なくなったので、別に米食にこだわる必要もないのか、と、ふと思いついたのがきっかけです。San Franciscoでは1ヶ月、朝食はこればかりだったのですが、お腹も体調も全く問題無しだった、ということもあります。
何かを失う、と同時に新しい何かと出会う隙間も手に入れているんだな、とか大袈裟なことを考えながらの朝食です。自分はお米が好きなんだ、とずっと思っていましたが、いざ離れてみると意外とすんなりと決別出来るみたいです。もちろん、時々ふと懐かしく思い出すことはあっても、それが無くては生きていけないとまでは思えません。
最も大切な人が居なくなった時でさえ、同じです。出来た隙間が大き過ぎて、最初はそれが隙間だとすら気付けないのですが、時間と共に段々と輪郭がはっきりしてきて、別のもので塞がれていく様が分かります。段々と悲しみの感情が薄まっていく自分は、ひょっとしたら、人として真っ当な心を持ち合わせていないのではないか、と怖くなることもありましたが、今はそれは正常な心の機能なんだと信じています。傷は癒えたけれど、傷を知っている分、他人に優しくなれるかもしれない、そんな小さな自惚れがいつも背中を押してくれます。
美しいものと一緒にいると、自分は間違っていないと思えるんだ、
村上龍映画小説集 - 村上龍
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